cafeロジウラのマタハリの日々

名古屋駅西にある隠れ家的な小さなカフェ、cafeロジウラのマタハリ春光乍洩です。2001年7月から営業しています。 http://cafematahari.com

金曜日、祖母が亡くなった

先週金曜日の朝、祖母が亡くなったと妹から電話があった。

妹の声は涙をこらえてるせいか少し怒っているようにも聞こえた。「おばあちゃんの体、まだあったかいんだわ」と言う。

ちょうどその電話の前、祖母と妹のことを頭に思い浮かべていたところだった。何を考えていたかといえば、祖母のお見舞いに行ってないことを頭の中で妹に弁明していたのだった。

妹は、電話で祖母が亡くなったことだけ伝えてくれた。通夜が今日なのか明日なのか、葬儀場はどこなのかそういうことを一切言わなかった。それで私は電話をくれた妹に感謝とお悔やみの言葉と共に、祖母の通夜および葬式に行かないことをメールした。

祖母には子供が3人いて、孫は9人ぐらいかな、そしてひ孫も何人かいる。子供の離婚のため、多分会えなくなった孫がいると思う。また、祖母よりずっと先に亡くなった孫もいて、それは私の妹の一人だ。そして私は祖母とは血縁ではないのだが10歳から22歳まで私の一番身近にいてくれた大人だった。多分、祖母は私を含めた彼女の孫たちにも、ひ孫たちもとても愛されていたに違いない。

私は22歳で家を出て、その後実家に立ち寄ったのは本当に数度だけである。その数度のうちでも、私は自分の育った家には殆ど入らず、隣の敷地の祖母の家のほうに入った。祖母に会うと、祖母の顔を見るためだけに何度かそっと実家を訪れようという気持ちにぐらりとなるのだった。

店を開店させてから祖母は数回店に来てくれた。その頃80歳後半か。とても元気だし私が子供のころと変わらぬ笑顔だった。

今年の4月、妹から祖母がそろそろ危ないから顔を見に来て欲しいと電話があった。

本当にですね、私は53歳と言う世間的には「いいオトナ」を更に越えた年齢でありながら、そういう時どうしたらいいのかわかんないんですよ。

ここ数年、私は祖母に会ってなくて、祖母のことを思う時に脳内に浮かぶのは私が子供のころの祖母の姿、そして共にあった記憶だ。それを、何故、今の姿に上書きしないといけないのだろう。このままでいてはいけないんだろうか。「ずっと会っていない」のと「亡くなってる」とは、今ここにいないということでは同じじゃないのか?

正直言って、私の実感としてはそんな感じなのだ。

そして祖母の通夜や葬式は、30年前に家を出た血縁ではない私は、どの立場でそこにあればいいのかわからないし、その世界はもう私にはあまりにも遠くて行くことが出来なかった。もしかしたらその場で私は非難されているかもしれないが、間に入って最初から何も要請しなかった妹に私はとても感謝をしている。

金・土・日と仕事をしながら、死について考えていた。

うちの店にお客として関わってくれた人の何人かが、病気や事故などですでに数人がもうこの世にはいない。まだ若い彼女たちに関しては「ずっと会ってない」と「亡くなっている」という状態は明確に違う。ずっと会ってない人に10年ぶりぐらいで久々に会えば、彼女には白髪が少し増えてたりして「でも変わってないね」と笑いあえる。でも「亡くなっている」人は10年経っても20年経ってもそのときの年のままだ。私の妹は27歳でこの世を去ったので今も27歳のまま。彼女より1歳年下のもう一人の妹はすでに42歳だ。

しかし既に高齢の祖母に関しては、どうなんだろう。心の中で「もうずっと祖母に会ってない」という時間のまま、留めおいてはいけないのだろうか。

 

月曜日、私はアニメ映画「夜明け告げるルーのうた」を観た。

そんなはずではなかったが、私は終わり近くからずっと泣いていた。自分がなにに泣いてるのかホントよくわからなかったけど、まったく困るほど泣いていた。

昔から人魚が棲むという言い伝えのある日無し町に転校をしてきたカイ少年と人魚のルーの物語だ。

「人魚の世界」というのは、つまり「あの世」なのである。「あの世」に行ったいろんなものたちがみんなニコニコして水の中からこっちに向かって手を振っている。ニコニコしている。手を振っている。もうそれを見ただけで、それを思うだけで自動的に涙腺が決壊するんだよな。

私はまだ、こちら側にいる。向こうから見れば「まだ残されている」と言っていい。

私もあちら側に行くときは、あんなふうにニコニコしながら手を振っていきたい、のか。

あちら側に行った人が、そんな風に行ったのだと思いたいだけ、なのか。

わからないけど、私はあのシーンを思い出してはいつまでも泣いている。

 

さて。2日間の定休日が終わって、また明日の朝が来たら仕事です。