cafeロジウラのマタハリの日々

名古屋駅西にある隠れ家的な小さなカフェ、cafeロジウラのマタハリ春光乍洩です。2001年7月から営業しています。 http://cafematahari.com

バッドエンドのルートは、確かにそこにあったのだ。

私は割りと決断が早いほうだ。

そして基本は楽観的である。

なにかがあるたび、自分のことをそう思う。

あとからくよくよしたり後悔することはあまりない方だと思う。

でも、何かが起きてしばらく経つと、「もしかしたらこんな道もあったんだな・・」と思う。自分が今回進まなかった、バッドエンドのルートについてだ。

うちは今年の4月、それまで住んでたところの隣町に引越しをしたのだが、今日は前住んでいた町内の美容院に行ってきた。その帰り道にあるマンションを目にして『そうだな、あのマンションも引っ越し候補のひとつだった。もしあそこなら最寄り駅も日常の生活圏もほぼ変わらなかったな』とぼんやり思った。そしてハッと気付いたのだ。もしも今のマンションに引っ越さなければ、前の家のままだったら、または前の町内のマンションを選択していたら、武田は今、死んでいたかもしれない・・・と。

最初に武田が受診したのは、以前の町内にある市民病院の中の脳外科だった。10月前半、最初はそこでCTスキャンをしてもらったときに異常がないと言われ、二度目の10月末にに再診を願ったとき、「でも、3週間前に大丈夫だったら問題ないと思いますよ。どうしてもと言うなら撮りますけど、緊張性頭痛だと思いますよ」と言われて、武田はCTを撮らずに帰ってきたのだ。私たちがまだあの町内に住んでいたら、その言葉に安心してもう脳外科医に頭痛の理由を求めなかった。私たちは内科に行ったりペインクリニックに行ったりハリに行ったり、または精神科に行くことを選んでいたと思う。しかし、今の町内にある近所の内科の先生に隣市の頭痛外来を紹介されて行ったため、この病気を発見することが出来たのだ。

今日も、昨日も、「もしかしたらそこにあったかもしれない」バッドエンドのルートを見つけては、ああ、と安堵のため息を漏らす。よかった。そっちじゃなくて。

今日は病院に行ってまた武田と院内を散歩した。この病院に来てどこでどう診察を受けたかまったく覚えていないということに武田は今日気が付いたのだ。

「車椅子に乗ったんだよ」と言うと、「車椅子?そんな体験、覚えてないわけがないのに、全然記憶にない。嘘言ってるんじゃないの?」というので、

「嘘じゃないって。着いたけど歩くのがふらふらで、車椅子があったので『乗る?』って聞いたら『乗りたい』っていうから、それに乗せて、診察も採血もCTも全部車椅子移動で行ったんだよ」と私が説明すると、

「そんなことを覚えてないって、もうそれ、ギリギリじゃん。もしかしたらわしって、あと少し遅れたら呼吸止まってたかもしれないよね」

「うん、あと2日ほど遅れたら、朝に呼吸が止まってたってなりかねなかったってお医者さん言ってたよ」

そのルートは確かに私たちのそばにあったのだ。今は、いろんなラッキーからその分岐は越えたのかもしれない。ほっとするしぞっとするよね。

今日の武田は、持ってった羽海野チカのマンガ「3月のライオン」で号泣して、

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そのあと、6時の夜ご飯をもりもり食べました。

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右目の腫れはだいぶ引いてきました。