cafeロジウラのマタハリの日々

名古屋駅西にある隠れ家的な小さなカフェ、cafeロジウラのマタハリ春光乍洩です。2001年7月から営業しています。 http://cafematahari.com

すーりんさんがお亡くなりになりました

すーりんさんが2016年6月16日にお亡くなりになりました。
原因は、がんのためだったと思われます。

私が知ってる、すーりんさんのこと。

すーりんさんとは、私がアジアスーパーシネセンターというアジア映画ショップに勤めていた時に知り合いました。
その当時、私が開設したネット上での店の掲示板が元となっていろんなファンの人たちと仲良くなりました。これが東京などであれば、例えばレスリー・チャンのファンだけとかアンデイ・ラウのファンだけなど、特定のファン同士の集まりになったかもしれません。しかし名古屋はある意味狭い街で、いろんなファンの方が集まり仲良くなって「香港映画ファン」というムーヴメントを作っていました。
その後のマタハリの最初の数年を支えてくれたのも、その当時の香港映画ファンの仲間たちでした。

多くの香港映画ファンがそうであるように、すーりんさんもまた多趣味な方でした。金城武が好きで香港映画にハマった彼女でしたが、マンガ好きで、西村しのぶさんのファンであり、そのファンの方々との交流も盛んなようでした。また日本の歴史や古い伝承や民俗学にも興味を持ってる人でした。またあるとき、マタハリ芳垣安洋さんのCDを聞いたことをきっかけに新たな音楽への興味の扉を開いたようで、渋さ知らズやROVO、大友良英さんやスガダイローさん、内橋和久さんなどのミュージシャンのライブに通うようになりました。

最初知り合ったばかりの頃は名古屋にお勤めのOLで、仕事帰りによくマタハリに来てくれました。不況のあおりをくい、本当にひどい形でのリストラにあい、そのために心を少々病んだ時期もあったようです。そんな時や休職期間中もマタハリにはよく来てくれました。その後、彼女の住む三重県内にある家具販売の仕事に就いてからは土日は仕事のため、お休みの水曜・木曜に来てくれました。休日は名古屋に来てごはんを食べ、そして映画に行ったりライブに行ったり。またはそのあとで夜ご飯を食べに来たり。行動は大抵「おひとり様」でしたが、気さくな方なのでマタハリのカウンターでいろんな人と仲良くなりました。うちの古くからのお客さんで「すーりんさん」の名を記憶してらっしゃる方は多いと思います。

ここ数年は仕事はハードそうでしたがそれでも順調だったと聞いていました。ただおととしの夏だったか彼女のお母さんが黄色靭帯骨化症という難病のため手術をすることになり、そのために病院に付き添ったりしてとても大変だったと思います。しかしお母さんの手術は成功しご高齢ながらすっかり元気になられたと伺ってました。
ところが今度は彼女自身が体の不調を感じていたようで、「最近、休日に名古屋に出て行く元気がない」と言ってました。調べたところ、甲状腺がひどく腫れていて、その手術を2015年の年末にすると言ってました。年末からお正月にかけて入院・手術して、正月明けてからすぐに仕事に復帰すると。
私がすーりんさんに最後に会ったのは、そういった話を聞いてた2015年12月半ばの頃でした。

すーりんさんが退院するだろうと思われた1月初めごろにメッセージを入れようと思いながらも、日々の生活の中でなんとなくあとでと思ったり忘れてしまったりで過ぎて行きました。しかし2月、そして3月になってもすーりんさんは全然マタハリに現れません。心配でしたが術後で体がダルいのかな、もう少ししたら映画やライブのために名古屋に来て、その時マタハリにも来てくれるかなと考えてました。

6月2日。すーりんさんが大好きだった大須の鱗粉堂さん。そのオーナーだったTさんがランチのためうちに来てくれました。そしてTさんが教えてくれました。すーりんさんの病気のことを。すーりんさんはTさんにがんであることをメールで打ち明けていたそうなのです。Tさんは鱗粉堂を2011年に閉めて以来、すーりんさんと会う機会がなかったそうなのですが、すーりんさんはTさんのことをとても慕っていたし、そしてTさん自身が1年前に大病から無事復活されたことなどもあったため、Tさんには打ち明けたのかもしれません。
迷いましたが、私もすぐにすーりんさんにメッセージを送りました。私たちをネットで繋げていたのは、ツイッターでもフェイスブックでもなく、すっかり参加者の減っているmixiでした。
私からのメッセージにすーりんさんはすぐに返信してくれました。

「ご無沙汰しております。
子宮がんの手術は成功したのですが、2週間後の外来通院でリンパ節転移を知らされ、1回目の抗ガン剤剤治療が終わり、今日退院しました。/6月2日」


すーりんさんは甲状腺の手術の際に子宮がんであることがわかり、そして4月に手術をしたそうなのです。リンパ節転移のこともTさんの話から聞いていました。万が一の場合のために住所を聞いておかねばと思い、「退院おめでとう。何か欲しいものがあったら送るので住所を教えて」と、私は再びメッセージを送りました。しかし、

「ところがこのがんが進行が早く、腎臓まできていると通知され、泣いていました。また、3週間後に抗ガン剤治を受ける予定です。また、友達に会える日が来るのか?とか。とりあえず、今はひとりで出掛ける事は出来ませんが、体調は落ち着いております。/6月2日」

「ありがとう。ありがとう。気に掛けて頂いてもらうだけで、元気が出ます。/6月2日」
そう返信がありました。

翌日にも私はメッセージを送りました。なるべく明るい口調で、手術や治療の末にがんが治った人の話など書きながら。そしてすーりんさんさえ良ければ会いに行くよ、と書きました。

「何度も励ましのご連絡ありがとう。今はそんなに思いつめてはいないので、安心してね。ただ、髪の毛があるうちに、髪をカットして、写真屋さんで、ちゃんとした写真を撮らねばとか、友達に連絡を取らねば。とか考えております。/6月3日」


「もしかしたら、やっぱり会いに来てー。となるかもですが、元気にマタハリにごはんを食べに行く事を考えます。一昨日は、TOKUZOでライブを楽しむ夢を見ました。/6月3日」
という返信が届きました。

私は次の休みの日にすーりんさんに会いに行くつもりでいました。しかしもしかしたらすーりんさんは病気でやつれた姿を人に見せたくないのかもしれない。そう思いました。それならば私が出来ることは、毎日、彼女の負担にならないように気をつけながら、明るくて短めのメッセージを1日1通だけ、ほぼ決められた時間帯に定期便のようにしばらく送ろうと思いました。少しでもすーりんさんの闘病の手助けが出来ればと。
それで次の日には、6月12日の「でら!マタハリオールスターズ」も、招待にするし、一日サポートを付けるのでなんとかこれないかと提案しました。

「おはようございます。いつもありがとう!
抗ガン剤治療が全う出来るとしても、8月までかかるそうです。ご招待とても、嬉しいのですが、行ける気がしない。うーむ。
そういえば思い出しましたが、病気がわかる直前、大友さんやカブサッキのライブを嬉々として予約していた私は、ライブの日、精密検査で行けなくなったくせに、キャンセルの連絡をわざと入れなかったなあ。得三さんごめんなさい。 /6月4日」

ああ、4月7日の得三でのライブかあ。その頃に精密検査だったのね。キャンセルの電話を入れなかったのも、病気で行けなくなった自分を認めたくなかったのかもしれません・・。
翌日、ダメ元でもう一度ライブに誘ってみました。お客さんの中にはすーりんさんの知り合いもいっぱいいます。少しでも彼女に先のことで楽しみにしてもらえることを作れないかと思いました。

「それは行きたいですね~^_^ またご連絡しますね!今朝は半年ぶりに美容院に行って来ました。自分の髪の毛があるうちににちゃんとした写真を写真屋さんで撮って貰おうと思いまして。何 年先であっても、あると安心するのが、女性心理という事で。病院以外のお出かけで、30年来の友達のような美容師さんとおしゃべりして、ヘアスタイルも すっきりして行って良かったと思いました。午後から写真屋さんです。 /6月5日」

写真は、きっとお葬式用の写真を想定してる----。そう思いました。しかし重くならないように、写真はきれいに撮れたかとか、あとは私から毎日メッセージ届くのって負担じゃない?と質問してみました。

「おはようございます。^_^ 家族や病院関係以外との対話は、気分転換にもなり、うれしいものです。今体重が40kgしかなく、体型はみずほらしいものでずが、顔の骨格が細くないの で、逆に顔がいい感じに引き締まって、写真映りはいい感じです。(逆に体型を隠す為にふわっとした洋服で)成人式以来の写真屋さんで、しかも、初めてのお 店でしたが、昔からある家族でやっているアットホームなお店で、楽しい雰囲気で撮影出来て良かったです。/6月6日」

その後、2日間、すーりんさんはmixiにログインしませんでした。
そして、
「お返事遅れました。
抗ガン剤の副作用で体がへばって緊急入院した為、バッテリー切れで開けられませんでした。やはり、今は、うちや病院からは怖くて出掛けられません。マタハリオールスターズは諦めます。ご好意ありがとうございました。/6月8日」

私は、すーりんさんが退院したら復帰ライブをマタハリで開催するよ、約束するよとメッセージを送りました。
「ありがとう!ありがとう!
心だけは鬱にならないようにます、心掛けます。/6月9日」

翌日、抗がん剤治療の時の副作用のひとつとしてうつ状態になるということを知り、心を落ち着かせてくださいねとメッセージを送りました。
「おはようございます。
昨日の海老蔵会見にびっくり。
瀬 戸内寂聴さんが、最近、大病を患った時、自分が体験して、この世に神も仏もあるものか!と思ったと黒柳徹子に語って「まあ、そんなこと仰ってよろしい の?」と言われたそうです。寂聴さん、ある日「楽天家の私、鬱状態だわ。」と気がついて好きな読書に心を移して、生きる元気が出てきた。という、ネットの 記事を目にして、今まで行ったライブや、映画、古代史なんか、頭の中で反芻しておりました。/6月10日」

6月11日には私たちが知り合ったアジアスーパーシネセンターの昔の仲間のことなどの話をお互いに書きました。退院したらみんなで会おうね、と。

そして6月12日。マタハリ15周年記念ライブの日。
私は歌うことになっていた「峠の道」の歌詞をすーりんさんにメッセージとして送りました。すーりんさんを思って歌います、と。
その歌詞の最後の部分は、こうです。

いつの日か会える 必ず会える
いつの日か会える 峠越えて

その日は返信がありませんでしたが、翌日6月13日、私は
「おはようございます!終わったよー、でら!マタハリオールスターズ。
すーりんさんが元気になったら、すーりんさんの快気祝いを絶対にやるからね!!」という短めのメッセージと共にライブの写真を2枚、送りました。
彼女からすぐに返信がありました。
 「ありがとう!ありがとう!」と。

その日以来、すーりんさんがmixiにログインすることはなくなりました。心配しながらも私は彼女にメッセージを毎朝1通ずつ送り続けました。すーりんさんの昔の仲間の方々も、なるべくmixiですーりんさんが興味を持ちそうな内容で、笑えるような楽しい話題をアップし続けてくれました。

もう10日近く彼女のmixiへのログインがないため、昨日、22日の夕方、思い切って彼女の携帯電話にかけてみました。受話器からは「この電話は現在、使われておりません」というアナウンスが流れました。
一体、誰にどうやって彼女の安否を確認していいのかいろいろ探しました。そして彼女の古いお友達に連絡をし、その方から更にすーりんさんの実家の電話番号を知ってる方に連絡してもらい、家族の方に話を聞くことが出来ました。

すーりんさんは、16日に亡くなったということを。初七日が済んだばかりで、親戚の方々も帰られて、家の中ですーりんさんのご高齢のお母さん1人だけになり、そのお母さんが電話口で号泣していらっしゃったと。

大変長くなってしまいました。
きっと、自分がこんな風に早くに逝ってしまうとは思っていなかっただろうなあ。
彼女の無念を思うと本当につらいです。
そして、もう水曜日や木曜日に、彼女がマタハリに来てくれる日は来ないんだ・・・と思うと、涙が止まりません。

マタハリではいつも、映画と音楽とマンガの話が殆どでした。楽しい話です。

ものすごくごくたまに、

「腹が立つわあ」という話もしました。ごくたまに、です。

つらいという気持ちは滅多に口にしませんでした。私にとってすーりんさんはそんな人でした。
すーりんさん。今まで、本当にありがとう。
心からご冥福をお祈りします。

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開店した年。香港映画ファンの仲間と集まった夜。CDを持っているのが2001年のすーりんさんです。